【〈連載〉在宅医からみた地域社会 ~10年後、20年後のニッポン~】
連載第5回 専門職が知るべき薬の危険性
クリニックを開業して間もないころ、一人の患者さんが総合病院から紹介されてきた。
88歳の女性、要介護5、完全な寝たきり。入院中に食事を摂らなくなり点滴されていた。認知症の終末期、在宅看取りを希望、家族には余命1ヵ月程度と説明、と病院からの紹介状には記載されていた。
声をかけるとうっすらと目を開くものの、すぐに閉じてしまう。少量のゼリーはかろうじて飲み込めるが、二口目には口の中にため込んでしまう。それでも家族は回復の可能性を期待し、粉砕した薬をゼリーに混ぜて一生懸命飲ませていた。
彼女はもともと軽度の認知症があったが生活は自立していた。ある日、肺炎で入院。入院初日の夜、家に帰ろうと点滴を自己抜去して廊下を歩いているところを発見され「安全に治療を継続するための投薬」が行われることに。彼女はその後、治療に抵抗しなくなり、肺炎の治療はスムーズに進んだ。
しかし自発性が失われ、動いたり話したりしなくなり、食事も摂れなくなってしまった。その状況を病院主治医は認知症の進行と診断、看取りを提案し、在宅医療が導入になったのだ。
家族が病棟から持ち帰り一生懸命飲ませていた薬は、いずれも強力な向精神病薬。これは治療のための薬ではなく、治療に抵抗できないようにするための薬だった。投薬をすぐに中止するよう指示した。
それから2日、彼女は目を開き「のどが渇いた!」と言葉を発した。水分が摂れたので点滴を外すと、食事の量もどんどん増えた。訪問リハを導入すると3ヵ月後には家の中を伝い歩きできるようになり、さらに3ヵ月後には外出できるようになった。
余命1ヵ月と宣告された彼女は、その後11年元気に暮らし、最期は住み慣れた自宅で穏やかに人生の幕を閉じた。亡くなる前日には、大好きだったウナギを家族みんなで食べたという。
典型的な「せん妄」だ。基礎疾患がある、あるいは体調がよくない状態に、何らかのストレスが加わった時に起こる精神的な混乱の1つだ。薬剤も原因となる。幻覚、興奮、意思疎通が困難になることもある。
特に高齢者は入院に伴う環境変化だけでも1〜3割の人がせん妄を起こす。放置すれば、心身の機能が急速に低下していく。
彼女は入院を契機にせん妄を発症、薬物によりそれが増強し、認知症が悪化したように見えていたのだ。
海外の研究では認知機能障害と診断された高齢者の11.4%は薬剤の影響、3.2%は薬が原因の認知症とされている。また回復可能な認知症のうち18.5%は薬剤によるものであったという報告もある。
アルツハイマーやレビー小体病など、認知症の原因疾患を治療するための薬(抗認知症薬)ですらも、人によっては認知症の症状を悪化させるケースがあることもわかっている。
薬は常に諸刃の剣。安全な薬などない。薬が寝たきりを作る、認知症を悪化させる可能性があるということに常に留意しておく必要がある。また、特にせん妄を起こしやすい薬については、専門職は知っておくべきだろう。よく使われている薬の一部をご紹介する。中には薬局で直接購入できるものもある。
①睡眠薬・抗不安薬
②その他の精神科の薬(抗不安薬・抗精神病薬・抗うつ薬)
③抗コリン薬(アレルギーや過活動膀胱(頻尿)の薬の一部)
④H2ブロッカー(制酸剤の一部)
⑤降圧薬・不整脈の薬の一部
⑥ステロイド
この中でもっともリスクが高いのが①、前回もご紹介した「ベンゾジアゼピン」だ。入眠導入剤を整理しただけで認知症が改善したという人も少なくない。
佐々木淳 氏
医療法人社団悠翔会(東京都港区) 理事長、診療部長
1998年、筑波大学医学専門学群卒業。
三井記念病院に内科医として勤務。退職後の2006年8月、MRCビルクリニックを開設した。2008年に「悠翔会」に名称を変更し、現在に至る。
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