「作家の構想力」が変えた高齢者の住まい
サービス付き高齢者向け住宅を始め、近年に高齢者の住まいが注目を集めだした背景の1つに2009年3月に群馬県渋川市で発生した「たまゆら火災事故」がある。未届け有料老人ホームの火災で東京都内に住民票がある高齢者10人が犠牲になったのだが、この事故を契機に当時の東京都は都市部における高齢者急増と住まいのあり方に本格的に取り組むことになった。09年当時、プロジェクトチームを率いて施策を打ち出したのが猪瀬直樹東京都元知事だ。
10年を経て、高齢者の住まいの問題、そして介護保険制度の現状をどう見るか。猪瀬氏に独占インタビューを行った。
たまゆら火災が契機
---副知事時代の猪瀬氏が高齢者の住まい施策に関わったきっかけは。
猪瀬 事故発生直後、犠牲になった高齢者が都民ということを知り、東京都の担当部局である福祉保健局長を呼んで説明を求めた。すると、住民票を都内に置いたまま、たまゆらと同様の都外の未届け有料老人ホームに入居している生活保護受給の高齢者がおよそ500人もいるとの報告を受け、正直、驚いた。
特に地価の高い23区は急速な高齢化と住まいの問題に対応できていなかった。「低所得の高齢者の住まい=特別養護老人ホーム」という図式、そして厚生労働省が全国一律に定めた規制に固執していた。しかし、都内における特養の整備費は当時でも1床当たりの約2000万円と見積もられており、入居待機者も4万人近くいた。そこで都の役人も区の役人も、苦肉の策で、住民票は都内に置いて生活保護費を東京から支給しながら地方に高齢者を住まわせるというスキームを実行していたのだ。
---事故発生後から約2ヵ月で、猪瀬副知事主導のプロジェクトチーム(以下PT)が都庁内で立ち上がった。
猪瀬 都庁の部署を横断して「少子高齢化時にふさわしい新たな"すまい"実現PT」を立ち上げた。僕は「羽柴秀吉の一夜城(墨俣城)のような発想が必要」であり、完璧な特養を作ろうとするからコストや時間がかかること、「住宅と施設の中間的な存在になる区分や制度を東京都独自に整備し、高齢者や家族の選択肢を増やすことが肝心だ」と説いた。
それと、第1回会合の冒頭で強調したのは「住宅政策と介護保険を別々にやっていてはこれからの時代は追いつかない。実際に現場を持っている東京都が、いくつかの事例を作り上げ、安心できる老後を過ごせる、少子化の対策にもなるような住まいを実現していく」ということ。
これは13年の知事就任後も念頭に置いていた。
---当時は「石原都政」の時代だが、福祉や生活関連の施策に関しては、猪瀬副知事のプレゼンスが大きかった。
猪瀬 PT形式での福祉施策推進は、周産期医療体制整備の時にも行っていた。ちなみに地下鉄一元化や天然ガス発電所計画もPT形式で進めたものだ。東京都庁も中央官庁と同じ縦割り行政で、組織横断的に動くのがうまくない。
高齢者の住まいに関し、東京都では、高齢者問題や介護保険関連を「福祉保健局」が担当し、住宅問題などは「都市整備局」が担っていた。PTには両局の職員のほか、厚生労働省や国土交通省の幹部職員もオブザーバーで参加する機会を設け、対策を急いで練り上げることに全力を尽くした。
国動かした「猪瀬PT」
---09年11月4日にはPT報告書が公表され、都独自の住まいモデルの骨格が示された。
猪瀬 「東京モデル」として2つのコンセプトを打ち出し、費用などの試算も行った。
そして
▽厚生年金受給者など中堅所得層向けの「ケア付き住まい(賃貸住宅)」(東京モデル1)
▽生活保護受給者を含む低所得層向けの「都型ケアハウス」(東京モデル2)
▽在宅の高齢者を見守る「シルバー交番」(当時)の優先的な設置
---この3つを集中的に取り組むことにした。
都型ケアハウスに関しては、1人当たりの居室面積を当時の国基準(21.6平方メートル)から認知症高齢者グループホームと同じ7.43平方メートルに都独自で緩和することで利用者負担を生活保護受給額程度にまで下げる仕組みとした。地価の高い大都市の実情を踏まえた施設基準を作り、全国一律の厚労省の規制を緩和させた。そして、補助金をつけて民間企業やデベロッパーになどに参入を促し、東京都や区市町村の保有地、民間の土地、統廃合した学校跡地などの活用や既存施設の改築も盛り込んだ。
---猪瀬流の「作家の構想力・突破力」が高齢者の住まいに関わる制度を動かした。
猪瀬 10年度以降も東京都として国交省や厚労省に規制緩和や国庫補助を働き掛けた結果、その後の都市型軽費老人ホーム、そしてサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)など国の制度改革へつながったと思う。それ以前は、国はもとより、地方自治体側も「特養ありき」「規制ありき」の考えに縛られていた。
中央省庁も東京都と同様、住宅は国交省、介護は厚労省と縦割りの世界。それが東京都の「ケア付き住まい」を参考に、10年から国交省の技官が厚労省に出向して調整を重ねて法改正に至り、全国区のサービス付き高齢者向け住宅へ発展した。
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介護産業の「近代化」
---東京における高齢者の住まい改革、そしてサ高住制度の導入から間もなく10年が経つ。現状をどう見るか。
猪瀬 サ高住は、良く表現すれば「規制が少なく融通が利くシステム」だ。しかし、悪い見方をすれば、質的な保証がまだまだ弱いと感じる。僕は今もサ高住や介護施設を訪れる機会が多いのだが、率直に、客集めで安い家賃ばかりを「売り」にしている業者も少なくない。家賃部分は下げつつ、介護保険の給付を多く付ければ「公金ビジネス」としての経営が成り立つ。
利用者に対し、訪問介護と訪問看護、在宅診療を組み合わせることで療養病棟とさほどかわらないサ高住もある。もちろん、入居者が加齢によって介護度が上がり介護サービスが必要になるケースもある。
しかし、最初から「介護サービスありき」でサ高住のビジネスモデルを描いている業者は問題外だと思う。僕の最新の著作『日本国・不安の研究』では、医療・介護産業の構造的な問題を指摘している。先に挙げたサ高住などの「質」の問題も、突き詰めれば医療・介護産業の「近代化」の遅れと密接に関わっている。
---具体的にはどういう課題が存在するのか。
猪瀬 昨年刊行した『日本国・不安の研究』を執筆するに当たって、僕は医療・介護を「産業」としてとらえ、持続可能性について検討した。医療・介護はイノベーション(技術革新)で発展しうる可能性があるからこそ産業といえる。
これに対し、年金制度にはイノベーションはないから産業とはいえない。だが、産業としての医療・介護も、イノベーションが既得権益によって阻害され続ければ、結局は惰眠をむさぼっていくしかないだろう。これは当然、サ高住や特養、介護施設など個々の要素にも当てはまることだ。
---今年は介護保険制度20年目の節目の年だが、構造改革のような大きなビジョンの議論がない。
猪瀬 医療・介護問題の一番の課題は財政だが、高齢社会がより進展するにつれ解決は難しくなる。既得権益の否定や構造的な問題の見直しは、役人ではまず無理だ。役人は微調整、微調整を杓子定規に繰り返して少しずつ修正するだろうが、根本的な見直しはしないまま、数年後には担当者が変わっていく。その繰り返しの一方で、既得権益は積み重なっていく。
僕は、医療費と介護費を効率化するには、医療と介護の重複したシステムを、分かりやすい「一貫生産システム」に変えることが必要だと考えている。その上で、構造改革が必要だ。
改革は、介護業界の600万人の雇用者が安定的な職業集団として維持されることにもつながる。現場の生産性向上などの頑張りも必要ではあるが、行政を含めて「産業」としての近代化が求められているのではないか。
---『日本国・不安の研究』では薬価の問題を一例に挙げ、医療・介護の構造改革の難しさを指摘している。
猪瀬 歴史的な経緯を含め複雑な問題なので詳しくは著書を読んで欲しいのだが、厚労省は遅れていた「医薬分業」の近代化を進めるために「政策コスト」、つまりインセンティブとして「調剤技術料」を生み出した。薬局調剤医療費全体でも8兆円、その中に占める調剤技術料は1.9兆円にも及んでいる。政策コストとして調剤技術料がどれほど大きいか分かるだろう。
ただし、これはあくまで一例で、日本の医療・介護の世界には、いわば「近代」になりきれていないゆえの遅れ、洗練されていないがゆえの課題が数多く残されている。それらの意味を剥ぎ取っていくことが必要な時を迎えている。それが『日本国・不安の研究』を今、書いた理由でもある。医療・介護の近代化を進める「改革工程表」だ。
(聞き手=編集部 河井貴之)
猪瀬直樹氏
作家。1946 年、長野県生まれ。87 年『ミカドの肖像』で第18 回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『日本国の研究』で96 年文藝春秋読者賞受賞。02 年、道路関係四公団民営化推進委員会委員に任命。07 年6 月、東京都副知事に任命。12年12 月、東京都知事に就任。15 年12 月、大阪府・大阪市特別顧問に就任。主な著書に『天皇の影法師』『昭和16 年夏の敗戦』など多数。
〔書籍紹介〕
日本の「医療・介護分野」は年間55 兆円の経済規模に達し、トヨタなど自動車産業にも匹敵する重要な産業。独自取材で得た情報で医療・介護分野のお金に関わる知られざる事実を伝え、さらにリアルな現場の発想でビジネスヒントを提案する社会提言書。PHP 研究所、1,600 円+税。
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