---連載 点検介護保険---
温度差広がる「認知症条例」
認知症条例が相次ぎ登場している。4月1日に名古屋市が施行した後、7月に滋賀県草津市、10月に東京都世田谷区が施行予定だ。9つの県市町区で出そろうが、画期的なのは昨年4月施行の和歌山県御坊市だろう。
他の自治体と基本的考え方が異なる。従来の認知症ケアのキーワードを覆した。
「本人と家族の意見を聞く」
「住民は予防に努める」
「やさしい地域づくり」
という他の条例での馴染みの用語が全くない。
「予防」「家族」「やさしい」から脱却した。
各条例は、まず、「目的」と「基本理念」を掲げ、次に「役割」や「責務」を記し形式はよく似ている。その「役割」「責務」を果たす主語は、市や事業者、関係機関あるいは市民だ。その「上から目線」で認知症の当事者にどのように対応すべきかを記す。
御坊市の条例だけは、第5条の標題を「認知症の人の役割」とし、認知症の当事者を主語としている。周囲から手助けされる認知症の人は、なかなか自分の思いを言い出せない。周囲も「世話される弱者」としか見ていない。
ところがこの第5条の本文では、認知症の人は
「自らの希望、思い及び気付いたことを、身近な人、市、関係機関等に発信するものとする」
「自らの意思により社会参加及び社会参画する」
と堂々と宣言している。
主役を認知症の当事者に据えた「本人目線」である。他の条例と一線を画す。
「本人本位」だから、「家族」を表記しない。
名古屋市は家族を条例名に盛り込み、他自治体は条文で「家族の意見、視点の尊重」と記している。
御坊市では「家族が入ると、家族が本人を代弁しがち。本人の意思を損なうこともある」と言う認知症当事者の考え方に従った。
本人視点は、第6条の「市民の役割」の本文でも明らかだ。
「認知症になってからも自分らしくより良い暮らしができるための備えをしておくよう努める」と「備え」を強調する。
これに対し、愛知県の第6条では「県民の役割」として「予防に向けた取り組みを行う」、島根県浜田市の第5条「市民の役割」でも「認知症の予防に努める」とあり、「予防」を強調する。だが、「予防」が喧伝されると、認知症の人たちは「予防しなかったから」と後ろめたい思いを感じることになる。「誰でも認知症になる可能性がある」との定説と相いれない。そこで「予防」ではなく、認知症になっても安心な事前の「備え」を打ち出した。
なぜ、御坊市では当事者の気持ちを取り入れることが出来たのか。
「本人さんたちの声を直接聞いたからです」と答えるのは同市介護福祉課の谷口泰之係長。条例作成のワーキング会議にはケアマネジャーや施設職員などと共に認知症の本人が加わり、毎回発言した。
そこで「失敗しても気にしないでいい地域になって欲しい」「90年生きてきて私だからできることがある。でも私のやりたいことを聞いてくれない」などの声が挙がった。市の職員がデイサービスなど介護現場に赴き、当事者たちの本音を聞き出す試みも重ねてきた。当事者の全国団体「日本認知症本人ワーキンググループ」の藤田和子代表理事や丹野智文さんも集会に参加し、協力した。
常套句の「やさしい」もない。他自治体では本文で使われ、神戸市や浜田市では条例名にも入れた。御坊市では、当事者から「守ってもらう、支援される立場だと感じてしまう」と異論が出た。「支援される」のではなく、第5条で「社会参加」をうたう。市内で育てる生花スターチスは全国一の生産量を誇るが、その収穫に認知症の人たちが毎年携わる。ビニールハウスで採り、花束を作る。社会活動が「総活躍のまち」という条例名に結実した。
「家族」「予防」「やさしい」に変え、御坊市が条例に盛り込んだのは「本人」「備え」「社会参加」である。条例の域を超えて認知症に向き合う普遍的な考え方が込められている。
浅川 澄一 氏
ジャーナリスト 元日本経済新聞編集委員
1971年、慶応義塾大学経済学部卒業後に、日本経済新聞社に入社。流通企業、サービス産業、ファッションビジネスなどを担当。1987年11月に「日経トレンディ」を創刊、初代編集長。1998年から編集委員。主な著書に「あなたが始めるケア付き住宅―新制度を活用したニュー介護ビジネス」(雲母書房)、「これこそ欲しい介護サービス」(日本経済新聞社)などがある。
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